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有限会社 パソコン・アドバイザー
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基本情報
年齢令和4年1月現在55歳
星座ふたご座
干支うま
血液型RH+A型
趣味スキー、ドライブ、パソコン
開発経験php、JavaScript、Perl、COBOL、FORTRAN、BASIC、C、MASM、etc...
資格・検定 通商産業省 (現:経済産業省)第2種情報処理技術者試験  (取得後30年以上経過)
総務省電気通信工事担任者 第1級デジタル通信
総務省 (九州総合通信局)第2級陸上特殊無線技士
(一財) 日本データ通信協会情報通信エンジニア (ビジネス)
経済産業省 (福岡県知事)第2種電気工事士
経済産業省 (九州産業保安監督部)認定電気工事従事者
総務省 (福岡県知事)危険物取扱者乙種第4類
厚生労働省 (福岡労働局)第2種衛生管理者
甲種防火管理者、普通救命、簿記検定、珠算検定、情報処理検定、英語検定
その他、これって何の役に立つの? って思われるような資格など9個位あり。
趣味で取得した
資格・検定
郵政省 (現:総務省)第2級アマチュア無線技士
スキー検定 (1級超、ライセンスは返納したので詳細は内緒!)
受賞歴 下関市教育研究美術図工部第26回 下関市児童生徒秋季絵画展 優良賞受賞 (昭和53年11月)
コンピュータ関連の経歴
1980(昭55)年春頃 友人からパソコンショップの存在 (開店時期は不明) の情報を入手し、「SHARP MZ-80K」「NEC PC-8001」「アップル社  AppleⅡ、AppleⅢ (現:Macの前身)」等の、現在では一般的になった本体・ディスプレイ・キーボード (当時はマウスはない) といった組み合わせのパソコン (当時はマイコンと呼んでいた) と初めて出会い、これが私のコンピュータ人生の始まりとなる。
当時のパソコンショップは、来店客が自由に扱える環境にあったこともあり、ゲームが無料でできる喜びだけで毎日のように通うようになり、その後次第に他校の生徒も増え、授業終了後、場所取り争いも思い出の一つである。
当時の記憶媒体の主流はカセットテープで、フロッピーディスクドライブはあったものの、ドライブ本体が20~30万円、ディスケット (媒体) が1枚1~2千円、5インチ又は8インチが主流。
1982(昭57)年春 高校入学と同時に、「SHARP MZ-80B」 を父に買ってもらう。
中学3年生のある時、「志望校の入学試験に合格出来たら買ってやる!」 と宣言され、当時のパソコンはかなり値段の張るものだったし、我が家は決して裕福な家庭ではなかっただけに、「そんな無理をしなくて良いよ!」 と言ったが 「いや、買ってやる!」 と宣言され、必死に頑張って無事合格。
約束通り買ってもらったのではあるが、やはりかなり無理をしたみたいで、母からそのような話を聞いてなんだか申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいになった。
しばらくはゲームに明け暮れたが、そのうちゲームも飽きて、パソコン誌に掲載されているゲームやアプリケーションを自分で思うように改造して使うようになり、次第にBASIC言語とZ80系の機械語のプログラミングを習得。
現在はCD-ROM等で添付されるのが一般的であるが、当時のパソコン誌にはプログラムのソースコードがそのまま掲載されていて、それを何日もかけて手入力するのが普通だった。
自:1983(昭58)年 高校に設置してあった富士通汎用コンピュータ FACOM V830 との出会い、紙テープやマークカードといった紙媒体を初めて体験。
直径50センチ重さ10キロ (くらいだったと思う?) なのに容量は20MB (これでも当時は画期的だった!) のディスクカートリッジを体験。
マウントにえらく時間がかかったのが思い出の一つである。それと同時に、FORTRAN、COBOL といった開発言語を習得。
自:1985(昭60)年春
至:1987(昭62)年春
高校を卒業し、コンピュータ関連の専門学校に進学する。
本格的にコンピュータ関連の知識を習得し、在学中の2年間で通産省 (現:経済産業省) の国家試験を取得。
自:1987(昭62)年春
至:1988(昭63)年7月
専門学校を卒業し、IT系の企業に就職するが、色々と事情があり約1年少々で退職。
その間、富士通汎用コンピュータ (OS=FSP) を経験。
自:1988(昭63)年7月
至:2004(平16)年12月
IT系ではないが、とある企業の総務部門に再就職し、エンドユーザとしてコンピュータの完全管理を任される。
当初は、富士通Kシリーズ (OS=F5)、事務系アプリケーションは COBOL にて自社開発。
その後Kシリーズを幾度かリプレース (OSもF5→ASPと変化)。
パソコンの普及が進みソフトウェアが充実してきたことから、パソコン化するのが望ましいとの考えで、約2年計画で、COBOL ソース約750本を Visual Basic 6.0 約500本に手作業で完全移行。
汎用コンピュータとパソコンとの信頼性の格差は雲泥の差はあったものの、信頼性の格差は、システム構築やプログラミングでカバーできると判断、価格の安さと汎用ソフトウェアの充実性の高さから採用を決定。
その時のサーバーOSが WinNT4.0 、クライアントOSが Win95OSR2、データベースが SQLServer7.0 であった。
退職直前は開発言語は変わらず Visual Basic 6.0 であったが、サーバーOSが Win2000Server、クライアントOSが WinXPPro 、データベースが SQLServer2000 であった。
自:1988(昭63)年頃? NEC PC-9801RA (だったと思う?) と MS-DOS、MS-Windows (現Windowsの前身)、MS-Basic を導入し開発環境を整備する。
自:1996(平8)年頃? 富士通DeskPower (Win95OSR2搭載) を導入し研究環境を整備する。
自:1999(平11)年頃? Visual Basic 6.0 を導入し開発環境を整備する。
自:2005(平17)年1月
至:2005(平17)年12月
起業準備のため、関係各所から情報収集をする。
平成17年12月にコンピュータ関連事業を含め多角的に事業展開を行う法人 (当社) を設立。
これ以降は 会社概要 をご参照ください。